№581回       当たり前のマナー、気配り  

年齢を重ねるごとに物事、言動に批判的になったり、人物の好き嫌いを自己判断で評価するような傲りがでてきたのは”自分”だけでしょうか?・・・

性格にもよりますが、最近、その傾向にあると妻から度々指摘されます。 今のところはその自覚はあるので正常な意識だと思っているのですが、・・・最近のブログの内容もその傾向にあるようです。

 

毎日、クルマを運転をするドライバーとして、朝はウオーキングする歩行者として、両者の立場を理解できる感覚意識をもっているつもりです。

ウオーキングコースで渡る横断歩道があります。 公園、住宅地を縦断する大きな道路で、朝の通学時間帯には父兄が出て子供たちを誘導しています。

子供たちがまだ登校する前の時間帯で人通りも少なく、道路にはまだクルマはあまり走ってはいません。 この大きな公園の前の”横断歩道”を渡ろうとすると、ほとんどのクルマが停止して横断を譲ってくれるのです。 いつも、恐縮して軽く会釈して早々に渡ります。

何気ない光景かもしれませんが、ドライバーと歩行者がお互いの立場から考えると当たり前のマナー、気配りを交わしているということです。

子供(学童児) お年寄りは当然のことのように横断歩道を渡りますが、ドライバーのマナー、気配りに応える意識が希薄に感じる時もあり、いやもっと、若い世代の大人たちの方がこのマナー、気配りに欠けていて、首をかしげることが多いのです。

先日、小学1、2年生の学童がこの横断歩道を大きな声で「ありがとうございました!!」と、手を挙げて渡っていきました。   なんとも清々しいおもいで笑顔がこぼれました。 ハイ!!

 

 

 

 

 


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