”ラオシャン”のお話  その2!!

 

このラオシャンの創業者であるオヤジさんは大変ユニークな人物でありました。 平塚の紅屋町が老卿(ラオシャン)発祥地です。 この店で”創作タンメン”が開発されました。

薬味の玉ねぎ、具材にわかめ、メンマ、そして酢をペースとにしたタレ、そして絶対に欠かせないラー油、この5つの食材、調味料の絶妙なマッチングが何とも言えない味を生み出すのです。 オヤジさん曰く、開店当時はこの味に馴染んだ客はほとんどなく、「店は毎日、閑古鳥が鳴いていたよ」 と平然と言っていました。

現在の酢タンメンの味に辿りつくまでには、何度も何度も試行錯誤して挫折をくりかえしたそうです。 数年して、平塚市民の舌に徐々に馴染んでいってこの”は絶対に忘れられない”魔性の味”となってしまうのです。 オヤジさんは、この酢タンメン一品だけのメニューで当時としては驚異的な売上を上げていったのです。

創業者であるオヤジさんは、20年ほど前にお亡くなりになりましたが、このオヤジさんのユニークな言動は今でも語り継がれています。 まず、メニューはこの酢タンメン一品きりで増やさない。(のちに、奥さんや、他のスタッフらが受け継いだ時に、味噌味のタンメンや餃子がメニューに加わったのですが )

もちろん、酒類等の飲み物もなく、タバコも吸わせない、お客様には一切愛想はなく、味にとやかく言うもんなら、怒鳴り飛ばして店から追い出したいう豪傑ぶりだったそうです。  酢タンメン一品だけで巨額の財を築いたオヤジさん・・・・、「その当時、平塚ではオレと ”河野謙三” しか乗っておらんかった。!!」 と、ベンツを所有いていたことを自慢げに話していました。

 このベンツに運転手をつけて、そのベンツのフロントドアには赤いロゴで老卿とペイントして平塚師市街を走り回ったそうです。  のちに、”ヤナセ”からベンツのイメージを損ねるとクレームがあったそうで、  「てめえの金で買ったものをどうしようと文句は言わせねー」と撥ね退けて、もっと”老卿”を大きくした。 という逸話が今でも残っています。

老卿 のオヤジさんと、一人の常連客として出会いがあって、ここから自分の人生が大きく変わろうとしていったのです。  ハイ!!


コメントを残す