ラオシャン伝 そのⅣ

玉ねぎ、わかめ、そして、酢という健康食そのもの、そのタンメンにライ油をたっぷりかけて、3年間自分の毎日の昼食はこれだけで十分でした。 (ラオシャンにハマった連中を ラオチュウ と勝手に造語した。)
毎回たべても飽きないで旨いと自画自賛して、こんなに旨いタンメン がなぜココではウケナイなんだろう??・・・・と思いにふけったこともありました。

1年、2年と経っても、売上は上がるどころか、下降していく状態でした。 当初描いていた平塚の店の繁盛イメージとはケタ違いな売上に思い悩む日々が続きました。

その頃に、このタンメンと餃子だけのメニューでは・・・ という考えが浮かんできたのです。
週に2度ほど平塚のオヤジさんのところに麺とタレをもらいにいくのですが、 この時にその考えを相談したのです。
 「やっぱりおまえもか・・・・・、皆、同じこと考えて相談に来る。 中には勝手にメニューを増やしてしまう奴もいるよ・・・」

フランチャイズ方式ではないので、なんの規約も制約もありません。
「 平塚の店の盛況を見てみろ。 これまでになるのに何年辛抱したと思う・・・・・この味だけで商売するには、この酢タンメン一本にしぼって”ラオチュウ を育てていかなければならない」 「それには、相当の辛抱と忍耐が必要なんだ 」 と諭しながら、これまで 老卿 が辿ってきた苦難の歩みを語ってくれたのです。

 頑固なまでに ”のれん分け” しなかった訳が解ったのです。 敢えて出店をするための ”3つの条件” を掲げた意味がここにあったのです。  
実は、この相談をするまえに、自分なりに工夫をこらして具にチャーシューをのせてみたり、昼の定食コーナーをつくり、タンメン、餃子、ライスのセットメニューなども試みたりしたのです。
 結局、酢タンメン独自の味の本質が変わってしまうということが後で解かったのですが・・・・。 
(現在でも、 ラオシャン(老卿)ではタンメン、餃子以外のメニューはありません。)

 

オヤジさんとの約束を守り、3年間のラオシャン経営は続けました。
3年の間に地元のたくさんの ”ラオチュウ” ファンが増えましたが、やはり愛川町という地域でこの味を浸透させていくにはもう数年はかかると思い始めたのです。

折しも、本業の自動車販売業の方が業績低迷に陥っている中、この3年目を契機に決断をしなければならない状況になったのです。 

次回は、最終章となります。