No. 559回   「小さくなる親」・・・・

鶴見俊輔 編著 「 老いの生き方 」 という本をある方に薦められて読んでみました。
近ごろは、こういうタイトルの本になんの抵抗も無く手にするようになったのですが、若い世代の方々が読むとちょっと切ない気持になるかもしれませんね・・・・

これは、編著者が何年かにわたって読んで心に残った、著名な小説家、エッセイスト、詩人の方々による ”老い” について選集であります。

その選集の 「 小さくなる親 」(串田 孫一 作)の一節を抜粋しました。

・・・・・子供から見ていると、親が段々小さくなるというのはその通りで、これは何十年も前に私自身がおなじことを確かに感じていた。 誰にそれを話す機会もなく、黙って感じていた。 だが、今度は子供から見て私が次第に小さくなっていく番である。 誤解を招くおそれもあるまいが、老いた親は憐れな存在だという結論を出して、同情を集めよというけちな了見を抱いた訳ではない。

個人差はあるにしても、人間に限らず、すべての生き物は老年期に入れば衰え始め、それは子供の見る親の場合でも変らない。 変らないどころか、自分の親だからこそ衰えがはっきり判り、生命の終わりのさほど遠くないのを知る。 成年時代の力はなく、重い物を持とうとしても容易に腰が切れない。 そしてこうした衰えは精神にもかなり顕著に現われ、根気がなくなり、記憶力や判断力もあやしくなり、そのために精神の均衡が破れて苛立ったり、逆に諦めが早くなったりする。 詰まりは総合的に人間存在としては小さくなる。

これは極く自然な状態であって、小さくならなければ不自然である。 従って職場には定年があって当然だと思うし、急に隠退生活に切り換える必要はないにしても、仕事は控えめにするように心掛けるのが賢い。

親は小さくなる、と書くと、何も口出しが出来なくなって、ちぢこまっている姿を想像する人もいるだろうが、周囲との関係を充分に考えた上で、小さい存在へと移って行けば、醜い軋轢ははかなり減る。
親の小さくなり方も、そう簡単ではない。下手をすると僻んでいるように受取られる。

 

共感させられます。、・・・・・何もかもが小さくなっていく小生への痛烈なメッセージとして受取りました。   ハイ!!

 

 


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