No. 540回   ニュース(報道)に望むこと。

最近のニュース報道で感じたことを敢えて語らせていただきます。

ゴン容疑者の逮捕、控訴、裁判から始まって、韓国軍の自衛隊機へのレーダー照射事件、元徴用工訴訟問題、これに関しての文在寅大統領の年頭会見、 そして2020年東京五輪招致での日本オリンピック委員会 竹田会長への不正疑惑等々の報道です。

我々一般人はニュース報道をメディアを通じて知り、その事実が真実かどうか判断するのですが、これらの”事件”の全容は全て報道範囲内で知り得たものだけです。 それが興味本位でもその解釈は報道内容によっては偏ったものになりがちです。 

 特に国際的報道は当事国のメディア”発信によって、当時国側の人々はその受取り方が心情的、また感情的にも余りにもかけ離れてしまうということです。 なぜなら、自国贔屓になるのは当然であり、当時国の各々報道機関、政府関係者が独自の取材、調査を重ねて不自然なまでに自国尊重の偏見的見解を述べあっているからです。
さらに、偏ったニュース報道をアナリストたちが専門的見解で一様に解説すれば”その方向”へ導かれることは必然なことです。

しかし、各国民感情も様々です。特に若い世代層においては意外と冷静であり、これらの報道”事実”を客観的、寛容な見解で捉えていることがもっとも”正常な感覚”ではないかと思うのですが・・・

 

このような国際的報道は、もう少し広角的視野にたった世論も吸上げる ”メディア報道” があっても良いのではないかと思うのです。 もちろん、反社会的な暴論ではなく、その報道が相手国、そして自国の多くの人々が真摯な心で共感するような善意ある ”言葉” を望んでいるのではないでしょうか ハイ!!

 

 


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