No. 525回    中国人経営者の手腕で復活したHONMA

我々がメデイアを通して知る中国(中国人)に対するイメージは、邪険な偏見に満ちているものが多いように思うのです。 ニュースになる一握りの人間、企業であっても13.9億人もの中の一握りであるので半端ではない数になるのです。

今回、場違いな題材を思いたったのは、先日、日経ビジネスに載っていた記事のタイトルに興味を引いて読んだコラムからです。 
 『 “復活”本間ゴルフ、劉流M&A経営の巧みさ 』  著者 財部 誠一
  ( 長文になりますが、全文をそのままコピーさせていただきました。) 

    よろしかったらお読みください。


 

“復活”本間ゴルフ、劉流M&A経営の巧みさ
「モノづくりはエルメス、マーケティングはヴィトン」

経営破綻から13年、かつての名門ゴルフクラブメーカー、本間ゴルフが快調に飛ばしている。そのドライビングフォースは中国人オーナーの劉建国会長だ。

 2010年6⽉に劉⽒が本間ゴルフの会⻑になった当時、業界内では「HONMAのブランドを⼿に⼊れてしまえば、いずれ酒⽥⼯場は閉鎖され、⽣産拠点は中国に移転される」と噂され、多くの社員が動揺した。 だが劉氏はHONMAブランドの価値の源泉が山形県酒田市の工場にこそあることを確信していた。

「本間はゴルフ界のエルメスだ」。劉氏が筆者に語ったこの一言に、本間ゴルフ買収のすべてが集約されている。

 日本国内でのHONMAブランドは地に落ちていたが、ゴルフ後進国の中国ではHONMAは今なお憧れで、中国人の劉氏はそのブランド価値を誰より高く評価していたのである。
名門クラブメーカーとして本間ゴルフが一世を風靡したのは1980年代だ。当時はドライバーなどウッドクラブのヘッド素材は反発力のある「パーシモン(柿の木)」が最良とされていた。ただしその加工工程で丁寧にオイルをしみ込ませるなど手間暇がかかり、大量生産には不向きな素材でもあった。それだけに「パーシモンのHONMA」と言われた本間ゴルフのウッドクラブは、リッチで腕に覚えのあるゴルファーのアイコンだった。しかしどんな業界にもテクノロジーの変化の波はやって来る。

 90年代になるとウッドクラブの素材はパーシモンからメタルやカーボンへと急速に変わっていったのにもかかわらず、この素材革命に本間ゴルフは完全に乗り遅れてしまった。成功体験が変化に対する硬直化を招いた典型的な例だが、本間ゴルフの不運は“素材革命”が“バブル崩壊”と重なってしまったことである。

 バブル景気に乗って始めたゴルフ場経営が、バブルの崩壊によってあっという間に頓挫、資金繰りに窮して2006年に経営破綻。本間ゴルフは民事再生手続きを経て、日興コーディアル証券系列のベンチャーキャピタル、日興アントファクトリー(現在のアント・キャピタル・パートナーズ)の傘下となり、創業一族は一掃され、同社から経営者が送り込まれた。

 再生企業を安く買って高く売り抜けるバイアウト・ファンドにとっておいしい物件だ。人員削減や資産売却でてっとり早く利益をあげるのが彼らの常とう手段だが、まともな中長期的な成長戦略を描き、買収先の社員たちとの信頼関係を構築できなければ企業価値の向上にはつながらない。安く買いさえすれば必ず儲かるというものでもないのだ。

 買収後、本間ゴルフはファンド出身の社長が3代続き、それなりの経営努力はなされたが、はかばかしい成果はなく、止血が精一杯という状態が続いていた。
転機は2009年だ。中国の起業家グループが訪日し、東京で日中経営者による交流会が開かれた。その席で劉氏たちの耳に「本間ゴルフの経営権を握っている日本のファンドが株式を売りたがっている」という情報が入ったのだ。

 中国の起業家グループのメンバーは海南航空のCEO(最高経営責任者)をはじめ、著名なオーナー経営者たちが顔をそろえ、皆ゴルフ好きだったこともあり、この売却話に即座に反応した。交流会の翌日の晩、帝国ホテルのラウンジで劉氏たちはアント・キャピタル・パートナーズの経営陣と接触。即座に買い取りを決めた。

この話に乗ったオーナー経営者は5人。本間ゴルフの全株式の20%ずつを購入することになったのだが、本気だったのは「私だけだった」と劉氏は言う。
「大会社のオーナーたちは多忙で『劉さん、あとはよろしく』ということになってしまいました」
2010年2月、彼らが共同出資する持ち株会社のマーライオン・ホールディングスがアント・キャピタル・パートナーズから本間ゴルフの過半数の株式を譲り受け、劉氏が会長に就任。そして2年後の2012年6月、劉氏は本間ゴルフの発行済み株式の100%を手に入れ、名実ともに本間ゴルフのオーナー経営者となった。

 それ以後、業績は右肩上がりとなり、2016年には遂に香港市場に上場も果たした。

 いったい劉建国とはどんな人物なのか。共通の知人である、日本に帰化している中国人ビジネスマンの仲介で劉氏に会うことになった。

 劉氏は背丈が180センチはあろうかという堂々たる体躯ながら、人懐こそうな笑顔で現れた。フランクで率直に受け答えをしてくれる人である。私は買収直後、本間ゴルフの社員たちとどう向き合ったのか、尋ねてみた。
「会長に就任直後、酒田工場に行き、生産にかかわる人たちとまず話しました。私が新しいオーナーだというような態度ではなく、あくまでも皆さんと共にやっていくパートナーとして振る舞おうと考えていました。その際、私は真っ先に本間を買収した理由を告げました。『私は本間ゴルフのモノづくりの姿勢に惚れ込んでいるから買った』と言ったのです」

 山形県の北西部にある酒田工場には300人ほどの従業員がおり、その大半が地元出身者で、寡黙な人たちだ。以前からファンド出身者が社長を務めてきたから「よそ者」経営者には慣れていたが、今度ばかりは勝手が違った。それまでは「よそ者」であっても日本語は話せた。しかし突然目の前に現れた中国人オーナーはまったく日本語が話せなかった。通訳を通じて外国人とコミュニケーションしなければならない。それは、酒田工場の工員たちにとって未体験のことだった。

 しかも「生産拠点の中国移転は時間の問題だ」という噂が流れていた時だ。中国人は拝金主義で、圧倒的な品質だけにこだわってきた不器用な職人集団とはまったく違う人種だと思い込んでいただけに、本間ゴルフのモノづくりの姿勢に強い共感を抱いているという、スピーチ冒頭で劉氏が語った買収理由の表明は職人たちの心にもさぞや響いたことだろう。巧みなやり方ではあるが、それは単なるパフォーマンスではなく、その言葉に偽りはなかった。

 劉氏と話していると、彼が根っからのゴルフ好きであり、本間ゴルフという買収対象のバリューを熟知していたばかりか、日本の文化そのものに強い想いを抱いていることが伝わってくる。買収の成否では買収相手の事業内容を正確に理解していることが絶対条件であり、その点、劉氏の本間ゴルフに対する理解は当初から相当に深いものがあった。

 「本間はゴルフ界のエルメスだ」
冒頭でも紹介した通り、劉氏は筆者にそう言ったが、どこがどうエルメスなのか尋ねた。

「エルメスと似ているところは3つあります。第1に匠の技術によって製品がつくられていること、第2に製品に最高の素材を使用していること、第3に最高の価格で販売していることです。ファンドは転売目的だから止血ばかりを考えるが、私はファンドとは真逆のことをやっています。本間はエルメスなのだからマーケティングさえしっかりやれば売上げは必ず増えるはずだと初めから考えていました」

「モノづくりはエルメス、マーケティングはヴィトン」

 しかしエルメスのままでは本間ゴルフの発展はなかったと劉氏はいう。
「モノづくりの姿勢はエルメスでいい。しかしマーケティングはルイ・ヴィトンに学ばなければいけない。たとえばエルメスは本革にこだわり続けるが、ルイ・ヴィトンは本革と人工皮革の取り合わせなど様々な素材でバッグを作る。それを本間も見習うべきだと言いました」

 酒田工場での初スピーチで劉氏は本間ゴルフが経営破綻したこと、さらに民事再生を経て再建に取り組んでなお業績が回復していない現状を、社員それぞれの立場で考えるようにも迫った。
「ここまで業績が悪くなったことには原因があります。販売の仕方や生産効率に問題がある。またこれからは実力主義でいきます。頑張った人には報酬で報いていきます」

 明快だ。劉氏は本間ゴルフのモノづくりに対して誰よりもリスペクトしていることをまず伝え、その上で経営上の問題点を指摘し、頑張った人には報酬で報いることを宣言したのである。

「誠心誠意を尽くせば必ず日本人社員に伝わる」

しかし何よりも私が驚かされたことは会長就任から8年、今日にいたるまで劉氏がただの一人も中国人スタッフを日本に送り込んでこないことだ。

 「国をまたいだM&Aは失敗例が多い。中国の企業は必ず買収先に中国人幹部を送り込むが、私はそれをしなかった。一番難しいのはカルチャーの違いです。日本人と中国人は文化が違うし、考え方や感じ方が違う。そこに配慮することが不可欠だ。日本には『以心伝心』という言葉がある。『誠心誠意』を尽くせば必ず日本人社員に伝わります。それが私の信念です」

 現在、本間ゴルフは持ち株会社の傘下となり、本社の所在地は香港で日本の本間ゴルフはその子会社という位置づけであるが、日本の本間ゴルフで働く社員の環境は何も変わっていない。変わったことと言えば、日本の本社がお洒落な六本木ヒルズに移転したことくらいである。もちろん酒田工場は不変だ。こうした構図のなかで戦略は劉氏、執行は日本本社という役割分担が徹底して貫かれている。

 こんな経緯をへて本間ゴルフは、HONMA品質にこだわりを続けながらも、製品ラインナップや販売チャンネルは劇的に変えてきた。「リッチで巧いおじさんゴルファー」のブランドではなく、少しでも上達しようと真摯にゴルフに取り組んでいる「熱意系ゴルファー」へと、ターゲットを明確にしたのである。技量の異なる「熱意系ゴルファー」の誰からも支持してもらえるように、複数のモデルを揃えた。

 また従来は直営店だけでの販売だったが、量販店などにも門戸を開き、販売チャンネルを大きく広げた。要するに製品の品質にも販売手法にもこだわりを持ちすぎ、誤ったプライドで凝り固まっていた本間ゴルフに、大きな風穴を開けたプロのマーケッターが、劉建国という中国人経営者だったのである。

 本間ゴルフの社員たちの反応が興味深い。買収されたという感覚があまりないというのだ。

「会長(劉氏)は尊敬できる経営者だが、仲間意識もある。もちろん数字には厳しいが、その数字を作るための方法には一切制約をつけない。我々の判断を尊重してくれます」

 その具体例がプロゴルファーとのプロ契約だ。

「フィーリング」は3Dキャドでは分からない

 「食品メーカーや家電メーカーならタレントを使ってテレビCMを流すが、ゴルフ業界は勝てるプロとどれだけ契約して、ツアーでの露出がどれだけあるかがベンチマークになる。業績も良くなってわが社もプロ契約を結べるようになり、その中から賞金王も生まれているが、選手選びには会長は一切口を出さない」

 具体的な数字は明かしてくれなかったが、契約金額は1人あたり数千万円、なかには1億円を超えるケースもあるだろう。女子ゴルファーではユ・ソヨン、ホン・シャンシャン、イ・ボミ、キム・ハヌルそして笠りつ子らと契約している。プロの意向を聞きながら徹底的にクラブの形状を調整していくことは、酒田工場の匠たちが最も得意とするところで、契約プロがツアーで優勝したり、賞金王になったりすれば、本間ゴルフの社員たちにとって最高の喜びにもなる。
本間ゴルフはかつてパーシモンという素材にこだわり続けて、メタルウッドの素材革命で致命的に出遅れた過去がある、と冒頭に書いた。ところが今でも酒田工場ではクラブ開発のプロセスでパーシモンを使っている。
いまやゴルフクラブは3Dキャドで設計するのが常識だが、いくら3次元といってもコンピューターの画面で見ている以上、限界がある。ゴルフクラブをかまえた時の微妙なフィーリングまではわからない。

 戦略は親会社、実行は子会社

 だから酒田工場ではクラブ開発はまずパーシモンでモックアップ(模型)を作り、実際に職人がかまえた時に感じる僅かな誤差を、削ったり、粉を吹きかけたりしながら微調整をするのだ。そして完成したモデルのデータを3Dキャドに落とし込んでいくのである。こんなクラブ開発をしているのは「世界だけでも本間だけだ」と、本間ゴルフの中堅社員は胸を張る。

 中国人経営者の手腕で復活したHONMAだが、そのモノづくりの伝統は見事に息づいている。

 M&Aの成否はそれを仕掛けていく側の見識によって大きく左右されてしまう。金融業界屈指のM&A巧者によれば、買収は成立後の統合プロセスが最も重要で、「強固な信頼関係を構築できるか否か」がカギになるという。

 「戦略は親会社、事業計画の実行は子会社という役割分担になるが、親会社は『任せきり』でも『過剰介入』でもないバランスのとれた経営管理体制を早期に確立しなくてはならない。そのためには強固な相互の信頼関係の構築が不可欠だ」    至言だ。

 それを劉建国氏は本間ゴルフで実現できているということだろう。

 

日本人の匠な技術を 『以心伝心』していく、これを『誠心誠意』の心で、そのまま”事業経営”に重んじて臨んだ中国人オーナーの劉建国氏は異色の経営者に映ったのです。

 


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