『空飛ぶクルマ』の衝撃 記事

2017年6月12日(月)   ” 日経ビジネスライン ”よりの抜粋記事

 近頃、新聞などで「空飛ぶクルマ」というワードを目にする機会が増えてきた。トヨタ自動車、欧州エアバス、グーグル共同創業者のラリー・ペイジ氏が出資するベンチャー企業……。激しい開発競争が巻き起こる中で、ヒト、モノ、カネが流れ込む中心的な役割を担っているのが、米シリコンバレーだ。現地に赴き、密かに進められている開発の現場を取材しながら、「クルマは本当に空を飛ぶ必要があるのか」について考えてみた。

本題に入る前にまず、空飛ぶクルマの定義を確認しておきたい。事例を見ていく中で、どうしても「これって普通のヘリコプターなのでは?」という疑問がわきやすいからだ(記者も当初は同じ疑問を抱いた)。

ここ1~2年で登場してきた新しい概念なのでまだ明確な定義はない状況ではあるが、取材を通じて見えてきた共通項は次のようなものになる。

  1. 基本的に電気で動く(エンジンを併用するものもあるが、あくまで発電のために使う)
  2. 人を乗せて一定以上の時間、空を飛べる
  3. 専門知識が必要なパイロットでなくても運転できるか、あるいは完全自動運転である

このうち記者が最も重要だと見ているのは、3の「専門のパイロットがいなくても運転できる」で、これこそがヘリコプターとの大きな違いになる。いつでも誰でも、行きたい場所に行けて初めて「クルマ」と呼べる。

電動かつ人を乗せられる初めての「空飛ぶクルマ」

ヘリコプターとの相違点としてもう一つ重要なのが、1の「電気で動く」という点だ。

 現在、ヘリコプターの駆動源として使われているのは航空機と同じ、ガスタービン・エンジン。重量物を重力に逆らって飛ばすにはこれまで、内燃機関でないと十分なパワーを得られなかった。一方で、内燃機関で動かすと、細かな制御が難しく、全体を構成する部品が複雑かつ多数になるという難点があった。ざっくり言えば、コストがかかるのだ。

2の「人を乗せられる」は、ドローンとの相違点とも言える。ドローンは、電気で動くため制御が簡単で素人でも操縦できるが、人などの重量物は運べない。

 空飛ぶクルマの姿が少し、イメージできただろうか。では、いよいよ具体的な事例を「シリコンバレー出張記」(蛇足ではあるが)とともに見ていく。

 最初に訪れたのが、米サンフランスシコ(SF)に本社を構える米ライドシェア(相乗り)大手のウーバーテクノロジーズだ。同社は4月下旬、「空飛ぶタクシー」の開発計画を発表して世間を騒がせていた(ウーバーが発表した計画のホワイトペーパー)。

2020年に誕生?ウーバーの空飛ぶタクシー

 その未来のサービスを図にするとこんな感じになる。

 これまで同社は、A地点(出発地)からB地点(目的地)まで移動したいユーザーに対し、一般の人が運転する自動車を配車するサービスを展開してきた。同社が交通インフラを所有しているわけではなく、移動手段が必要な人と、それを提供したい人とを照合するマッチング・サービスを提供してきたわけだ。

 空飛ぶタクシーを使った新サービスは、顧客をA地点からB地点まで、ほぼ直線に近い最短ルートで届けられる点に最大のメリットがある。クルマであれば、陸に敷かれた道路をくねくねと曲がりながら行かねばならないが、空に道路はない。文字通り、一足飛びで行けるのだ。

 機体の開発では既にブラジルの旅客機メーカーなどとの提携が決まっており、2020年までに試験飛行を実現させるとしている。

当初こそ、クルマと空飛ぶクルマは別々の車体になるだろうが、将来的には同一車体、つまり陸も走れるしそのまま空も飛べるクルマになる可能性が高い。それが自動運転なら……。そこに広がるのはもはや、サイエンスフィクション(SF)小説の中でしか見たことのなかった世界だ。

空を飛ぶことにこだわるシリコンバレー

 ウーバーだけではない。航空機大手の欧州エアバスや、米グーグル共同創業者のラリー・ペイジ氏が出資するシリコンバレーのベンチャー企業、キティホークなども、空飛ぶクルマ(ただしキティホークは「個人向け飛行機」という位置付け)の開発を目論んでいる。

 エアバスはサンノゼ国際空港近くに開発拠点を構え、急ピッチに設計を進めている(計画について解説した動画)。キティホークは4月に試験飛行を終えた。その様子は動画で確認できる。

 それからもう1社、所在地はシリコンバレーではなくボストン近郊だが、シリコンバレーの投資家たちから注目を集めているのが、トップ・フライト・テクノロジーズだ。出張中に創業者に電話でインタビューすることができたので、本誌の特集でも紹介している。エンジンで発電した電気をバッテリーにためる「ハイブリッド式」を採用しているのが特徴だ。動画はこちら

豊田英二氏が夢見た理想のエコカー

 取材を進めているうちに記者は、ふとこんなことを思った。「なぜここまでシリコンバレーは、空を飛ぶことにこだわるのか」という点だ。

 取材アポを入れておきながらこんなことを言うのもおかしいのだが、正直、出張する前は、そこまで空を飛ぶ必要性を感じていなかった。記者自身が「クルマの運転が好き」ということもあるが、現時点で既に利用できるクルマや新幹線、飛行機などを使えば、十分に短時間で行きたい場所に行けるからだ。

 そんな疑問を持っていた矢先、クルマ関連のメーカーからシリコンバレーに出向している日本人駐在員が集まる飲み会に誘われた。そこで、こんな話を聞いた。

 「トヨタが目指す理想のモビリティーは『筋斗雲(きんとうん)』」

 「何それ?」。思わずそう口にすると、「え~っ、知らないの?」と教えてくれた。

 筋斗雲はご存じの通り、中国の小説『西遊記』に登場する孫悟空の乗り物だ。雲なので、素材は水蒸気。呼べばどこからともなく現れ、空を飛んで目的の場所まで運んでくれる。いわゆる自動運転だ。ガソリンも電気も使わない(と思われる)。まさに究極のエコカーなのだ。最初にトヨタ中興の祖として知られる豊田英二氏が標榜し、以来、社内で受け継がれている発想のようだ。

 目からウロコが落ちた。なんて分かりやすい表現なのだろう。空飛ぶクルマは古くからずっと、人類が理想としてきた移動体だった。理想を求めるのは至極当然のことで、何ら不思議はない。

クルマが空を飛ぶべき、もう一つの理由

 その飲み会で盛り上がった翌日、空いた時間を利用して参加メンバーの一人の職場にお邪魔し、空飛ぶクルマについて再び議論(というよりは雑談)した。その職場は、「Plug & Play TechCenter」というインキュベーション施設の中にあった。

「正式な取材なら日本の広報の許可が要る」とのことで、あくまで“非公式”に話していた。すると、その人の顔色が急に変わった瞬間があった。どうやらその人も記者と同じで「クルマは必ずしも空を飛ばなくていい」派だったようだ。

 「なるほど、そういうことなのか!」。2人が納得した理由はこうだ。

離島からあらゆる店が無くなる?

 ポイントは「空に道は必要ない」という点にある。

 クルマは基本的に、陸の上でも道路が敷かれている場所でないと走れない。だが、空飛ぶクルマは違う。もちろん、あまりにも空飛ぶクルマの数が増えたら渋滞はすると思うが、自動運転であれば最大限、回避はできるはずだ。

 もし近い将来、世界のデフォルトが空飛ぶクルマになるとしたら、今ある以上の道路を地上に造る必要はなくなるのだ。インフラにかけるコストを大幅に圧縮できる。

 日本でこそ、あらゆる地域に道路インフラが整っているが、世界を見ればそんな地域の方が少ない。ところが、そんな場所にも人は住んでいる。これまでは歩くか、牛や馬を使わなければ思うように移動できなかった人たちも、空飛ぶタクシーを使えば、いつでも望む場所に行ける。急病人が出た場合などは特に役に立つだろう。

 人の移動だけではない。物資の調達も圧倒的に容易になる。インターネット通販を利用すれば、山岳地だろうと離島だろうとあらゆるモノが手に入る。もしかしたら、離島に全く店がなくなっても、誰も困らないかもしれない。空飛ぶクルマに届けれてもらえばいいからだ。

社会の「劇薬」になる可能性も

 空飛ぶクルマの登場は、社会のあり方や私たちの暮らし方を根底から変える「劇薬」になる可能性を秘めている。

 ただし劇薬なので、使い方を誤ると悪い方向にも働く。大規模量販店の登場で、個性的な街の個人店がどんどん消えたように、地球上から「個性」がどんどん失われていくことにもなりかねない。それが良いか悪いかは判断が分かれるところだが、記者は古いタイプの人間なのか、どうも寂しく感じてしまう。

 もしこの「空想」が実現するとしたら、企業は今、何をすべきか。空想に過ぎないとはいえ、少し考えてみても損はないだろう。